About My Neighborhood
わたしたちのフィールドワークの拠点 長野の集落をちょっとインフォメーション
April 4月
寒ーく、長い冬
4月、こたつと囲炉裏がまだうれしい。殊に夜は囲炉裏の火が格別の暖かさ。
ここ佐久市の土林は、蓼科山を背負った静かでひっそりとして美しく、冬の長ーいところです。冬の雑木林は陽差しが抜けて光のコントラストがすばらしい、春夏秋とはまったく違う姿を楽しませてくれる。それでも 「早く暖かくならないかなー」としみじみ思うようになると、朝日が畑に差し込む時間が早くなる。ある種の植物にとって、長ーく寒い冬がなくてはならない条件であること、そして温暖化のことなども考えると「もういいよっ」と思わせるこの冬の寒さすら(うちは古ーい家なので玄関がマイナス10℃になるが)なんか楽しい。
4月、土が柔らかくなってくる。もうよいだろうとせっせと苗木を植えていると、地元の友人Kにまだ霜がくるよと言われた。そして、苗木はその夜一夜にして凍みてしまった。「カッコウ鳴いたら種をまく。苗木も同じ!」と聞いてから、カッコウの声が聞こえるとピヨンと身も軽くなるのだ。土地に伝わるこのようなフレーズは多く、知恵とたくましさにあふれ、明るくポジティブな響きがある。それでも5月11日に強烈な霜が来て、プロの農家の人々ですら多くの苗代を失ったのは2年前だったか。どんなに悔しかったことだろう。やはり自然は人智を超えている。
縁側から日向山の斜面にある丸坊主の大木をながめながら、横でお茶をのむKに「あの木はもうダメ?」と聞くと「なーに 心配ないよ。毛虫は十分食べたら蛹になってしまうさ」と言う。それでもその木が元気に次の春を迎えられるとは思えなかった。ところが夏の終わり、ブルーベリーの収穫もとっくに終わったという頃、その木は青々とした若い緑に覆われだした。「強いな〜…」「ふむふむ…やはり自然は…」。
うちのベリー畑は毎年、毛虫の品評会のように各種毛虫のレストランとなる。毛虫を1匹1匹ピンセットで500本の木から取り除くのは根気と腰痛と熱射病と
の戦いです。昆虫好きではじめは毛虫を殺せず、畑脇に放っていた私ですら毛虫が憎くなってくる。そんな作業を見ながらKは「なーに、食い尽くしたりしないさ」と笑っていた。彼の畑は虫天国。虫取りはしない。
うちはせめて手作業で取れるとこは取って収穫を守る。可能収穫量の70%の収穫で上上等とし、やはり自然と折り合っていこうと思う。
タイムトリップ・ラドンの巣
農作業の合間をぬっての「どこでも探険」を基本姿勢とする私たちは例によってご近所探索に出ていた。車窓から外を見ていたところ、道路左側に窪地があり、その先になにか感ずるものがあったので、早速窪地に下り、先の斜面も登った。さらにツルとバラの刺に阻まれながらも雑木倒木の中を下ると「むむっ」と思わず息をとめる光景。夕方のほの暗い世界には漆黒の池から林立する30〜40mの立ち枯れの大木。そして響き渡るキーっという鳴き声。ゴジラの映画に廃坑の中でラドンの巣に出くわす場面があったが、そんな感じで背中がジワジワした。大きな翼をゆーったり羽ばたかせて、親鳥が高い梢に架けられたそれぞれの巣に降り立つ。襲ってくるはずはないと思ってはいてもこちらを認識されてはまずいように思われ、われわれは小声でひそかにしかも最小限のコンタクトで撮影、移動、撤退の意思確認をしたのだった。
車に戻ってから鉄砲玉のように言葉が出、興奮のなか鳥の種類を同定した。彼らはアオサギに間違いない。全長88〜98cm、翼開張150〜170cm、英名「Grey」とはずいぶん雑なネーミングだ。雨覆の色彩を青灰と見た日本人の色彩感覚はやはりすばらしい。
ふふふっ。
子育て中の鳥たちに一生懸命を超えて必死な姿をみる。我々がこそこそと行動したのは彼らの発する警告オーラに圧倒されたからに違いない。以前海岸の草地で営巣中のアジサシに鋭く威嚇された時もこれはやられるかもしれないと思いながら逃げた。
この時期わが家の庭先でもヤマガラ、シジュウカラ、ホオジロ、スズメが子育てをする。巣箱に頭を突っ込んでいる1m30㎝のシマヘビをみつけたときは、わが子を襲われているようで、完璧に頭真っ白状態。巣箱の横の枝では親鳥がのどが破けるかと思われるほど必死に鳴き続ける。私は親鳥に「待て待て」と言いながらシャベルでヘビを叩き落とそうとした(ヘビは嫌いではないのだが…)。ヘビが巣箱にほとんど入ってしまったのでシャベルは入口付近を叩くこととなり、親鳥には私まで巣を襲っているように見えるだろう 叫びながらこちらを見る目が怒っている。「大丈夫、敵じゃないから」と叫びながらスコップをふるっている姿はきっと滑稽だったなー。ヘビはぷっくっとふくれて出てきた。脱力…。
こんなことはよくあること。でも…。
せつない春なのだっだ。
寒い日はお座敷卓球で汗
バシッ、ヨッシャー(ここでガッツポーズ)、ビシッ、クソッー! クソッーなどと汚い言葉だぞ、いい歳して何だ! ビシャーッ、障子に走る亀裂。鋭いスマッシュが決まる(時々敵陣を空中通過して)。一直線に障子にめりこみ、少しずつ外の明かりが座敷(もはや体育館です!)に差し込む量が増えていく。明るい座敷は気持ちいいものです…なんて喜んでいていいのか。激しくエスカレートするお座敷卓球。座敷童ものんびり床の間に座ってもいられない。
この大卓球台が来た年はやたら冬が寒く(単に家の暖房事情が悪いだけともいえる)、東京から着いたらまず打ち合う。寒くてどうしようもなく、体を暖めなくては何もスタートしないのだ。巳年だったのかな?
到着が零時過ぎであろうとも鋭くホイッスルは鳴る。練習の成果めざましく、3年もビシバシやっていたら、いよいよ過激で力強い打球が飛び交い、体育会系の農家へと変貌したのだ。おかげで畑仕事もいよいよ力強く、手押し車には藁束を満載してぐいぐい樹間を進み続ける!…はずなのに、今年は歩幅を狭く、意識してのんびり畑を歩き、足腰の屈伸を少なくするべく這い回って草取りをしている。ん? 卓球で鍛えた反射神経運動能力と畑仕事パワーが完全に反比例しているではないか。そうです、イケイケパワフル農作業より体調管理型農作業が大切と結論を出した61歳でした(過激卓球は維持)。
卓球台がある家、しかも土日農園の古民家だというと、ほとんどの人は私が相当羽
振りのいい暮らしをしてい
ると考える。確かにハブリ
がいいのだ。
なにしろ毎日ない袖を振
り回して袖の下を待って
いる。けどなんにも来な
い。で、真面目にコツコ
ツに堆肥をまいています。
村の各家には、10畳2間ぶっ続けにできる広ーい座敷が日常使いの部屋とは別にある。都会でワンルームに暮らす若者からみれば、なんという贅沢。ここに腹筋強化マシーン、あっちに室内ランニング機といろいろ置きたくなる。しかしこれは田舎では許されない。この一見もったいないような空間が冠婚葬祭、お節句、見合いetc…一族、集落の絆を守ってきたのだ。普請の時も村をあげての作業であったことが家に残る木どり帳と手伝いの人びとの日誌からわかる。
文化ですね! そこで、うちでは卓球台を置くことで村に新しい風を迎え、うちなりのBUNKAを深めています。でも 時々卓球台を片づけて座敷にポツッと座ってみると しみじみ日本の座敷は安らぐのだった
蓼科山スピリチュアル・スポット
佐久土林で過ごすようになって地元の友人が何人かできた。みんないい人…いや、みんなヘンなオヤジです。家業もそっちのけでクワの実採りにクレーン車まで出すヤツ。町中をイノシシ連れて散歩したときはさすがにヒンシュクをかい、やめたとか。この猪はかわいい、よく馴れている、甘噛みだと思うがパコっとかまれると指がさけるほど痛い! もう一歩で指はなくなる。で、やはり家庭内イノシシはまずいのだ。
「ジバチの巣があるよ」と伝えたら、午後の仕事は即中止! 軽トラ飛ばしてすっとんで来るオヤジ。こんなにも幸せな顔ができるのかという顔でいそいそと巣をいぶし、さらにうれしさ倍増の軽いフットワークで蜂の子を集める。蜂の子は刺身が最高!
オヤジたちはキノコ採りにずんずん山へ分け入る。マイマッシュルームポイントがあるのだ。季節の味は嬉しいが、量にもよるよと言いたいくらい持ってくる。おかげで多少虫入りでも食べられるようになった。
春、サンショウウオ生態調査は20㎜ほどの小さな子どもの元気を確認するだけで満足。最高の一日となる。オヤジは食べ物ばかり追っているわけではなかったのだ。深い森は暗いが、見上げれば大木の枝葉を通す陽射しがとてもやさしい。私は背丈より高い笹の中をひたすらヤブコギする。足元が見えないので時々ぼっこっと落ちる。慣れると落ちかけたところで足を引くことができるようになるから我ながらたいしたものだと誉めてみる。笹薮をぬけ、雑木の無節操に広がった低い枝やのび放題の蔓をうまくかわして進むこと20分? ポンと出た20帖ほどの空間には濃ーい空気が満ちていた。
ここだ! 薄い霧がほわりと浮かび、二方の岩棚は高くそびえ、著名な造園家が配したようにほどよく丸いシルエットの木々が落ち着いている。エリア全体の8割ほどは厚い美しい苔に覆われて、そっと足をのせるとフワっと足首まで沈んでいく。岩の間から吹く冷たい風は冥界の空気か。火山活動でできた風穴と思われるが、真っ暗な底知れぬ空洞が怖い。ほの暗い岩棚に咲く小さな白い花は満天の星。これはウラジロヨウラクの貴重種。この群生は誰にも教えられない。最近は山の大切な植物を業者が根こそぎ持っていってしまうのだ。ここを教えてくれたオヤジは大大大の山野草好きだが、一つも採っていない。大切な場所だから私がここに来たのも9年で4回。自然を守るということは遠慮すること?
GOGO! 草刈りハイシーズン
いよいよブルーベリー大収穫の季節到来! 6月末からハスカップ、スグリの収穫、そして驚異的な数の毛虫採りにドッと汗を流す。早朝の小文吾(犬)との散歩が1時間、その後軽く朝食を済ませ、後は日の入りまでひたすら収穫。この収穫ハイシーズンは草刈りハイシーズンでもある。
草の勢いの強さにはすでにスッカリ脱帽! あっさりと負けを認め、大好きなミゾソバ、クサノオウ、カキドオシなどの可憐な姿を楽しむ。集落では我が家以外のどの家も完璧に掃除、草取りがなされている。「きれいにしていないとみっともないでしょ」という言葉には見た目だけではなく、暮らしの有り様をキチッとする姿勢が伺える。だらしなくのんべんだらりと暮らしていると大きな自然にあっという間に飲み込まれてしまうのだ。私たちを楽しませてくれる美しい田園風景は、農家の人々が並々ならぬ汗を流して創った合理的な姿なのですね。
集落共同作業の村道の草刈は朝5時スタート。寝ぼけ眼で現場に着くと、すでに作業している人がいる。ここでまた脱帽! 各世帯から1人が参加。人手が多い方がいいだろうと2人で行くよと言うと「それには及ばぬ」とのこと。つまり、きちっとシンプルな決まりの中で動く方が、結果として問題回避になることと納得しました。
でも、足を悪くされたご主人に替わって参加するナミちゃんの小さなシルエットに対して、刈り払い機がいかにも大きいのです。「出不足」を払えば免除になるが、人手が欠けてしまうことに心を痛めているに違いない。かつて100人以上いたこの集落も今は6世帯10人。押し寄せる木々や野生動物、二者のバランスは短期間で大きく変わったのだ。共同作業のこれからの形をそろそろ模索した方がいいかもしれない。
青紫の実がたっぷりとした彩りと深い味わいで楽しませてくれるのは8月いっぱい。8月末になると熟れたブルーベリーにキイロスズメ蜂やジクマン(オオスズメ蜂)が大挙して食事に来る。彼らが頭をつっこんでいる実のすぐ隣を摘み取る。食事に夢中で人のことは無視。このチャンスに箸で蜂をぱしっと挟み取り、焼酎の瓶に…スズメ蜂酒を作ります(食事中の特別な時以外は危険なのでやらないでください)。この酒は、虫さされ、かぶれの特効薬となる。
素人農業とはいえ、この収穫期の胸ふくらむ圧倒的高揚感が 東京でデスクワークに追われる日々を乗りこえるエネルギーとなっているのです
知れば知るほど、みんなシートン
「おーい、藤原田でオオムラサキがガンガンでているゾー」と連絡が入る。いつものオヤジだ。数年前まで植物に関しては学術名がでるほど詳しいが、昆虫とは縁のなかった人なのに、今は自称昆虫オッカケの我々をもしのぐ勢いの情報量を持っている。毎年アゲハの水場の様子からオオルリシジミの食草のクララ生育状態まで報告してくれる。
さらに3軒下のチエちゃんが「なんだかデッカいのがいるよ」と言って呼びに来る。速攻飛んで行くと、なんとオオムラサキだ。「ちょっとの間しっかり観察させてね」とキズをつけないようにジャガイモのネットにそっといれる。蝶の写真撮影まっしぐらの夫は興奮! そろそろと放してやると、しばらく夫の手に留まっている。うちの村に国蝶が…とすっかりミーハー喜びに浮
き立っていたのがここで頂点を迎えた。10年前に仲間と嵐山を歩き、あーっいたいたと、たった1羽のオオムラサキに6〜7台のカメラが向けられていたのがウソのようだ。
1本の樹に10羽以上のオオムラサキのメスが樹液を吸いに集まっている情景は、壮観を越えていた。この小さな集落にそれもうちの縁側に、アゲハ、キアゲハ、オオムラサキ、クジャクチョウ、ルリタテハ、スミナガシ、アサギマダラ、クロヒカゲ、ヒョウモンetc…と蝶好きには申し訳ないくらいの貴重種が訪れる。タテハの種は多く同定に苦労する。毎年、それぞれが顔をみせてくれると、年に1度の子どもの帰省を迎えた親の気持ちと重なるようだ。これ程濃い生態系こそが自然が生きている証ということで、本来はバタバタ大騒ぎすることではないのだと思う。
しかし、見かけなくなった種もある。ヤマキチョウが極端に数をへらし、キアゲハの幼虫が今年庭先のセリの中にいない。ミヤマシロチョウは絶滅寸前とオヤジの報告にはあった。「フジバカマがいっぱいだからアサギマダラの写真を撮ってきたよ」「百合を植えたらいい。蝶がいっぱい来るよ」「なんだろね、黒っぽいのが飛んでたよ」みんないろいろ言ってくる。「榎にオオムラサキは来るんだよね」とチエちゃん。嬉しくなる。チエちゃんはブルーベリーに付いている毛虫を「このヤロッ!」とあっさり踏みつぶす。もしかしたら、きれいな蝶になるかも知れないのに…。
でも、どちらのチエちゃんも本気です。畑仕事や旅の途中で出会うきれいな蝶を喜び、本気でブルーベリーの葉を食べてしまう毛虫を憎いヤツと思ってくれる。
こうしてみんなシートンになる。
Way 5月
June 6月
July 7月
August 8月
September 9月
Disenber 12月
やったね! ヒマラヤ!
標高800mの早朝深夜は温度にマイナスがつくようになった。山の紅葉は終わり今、里山錦に包まれている。鹿の親子が村道を渡り、山雀は毎日餌台を確認に来る。ジョウビタキが早くも納屋をのぞいている。
「最高齢の女性がサガルマータの登頂に成功!」。このニュースに人ごとではない感慨を感じた。ちょうど1年前、私たち「どこでも隊」はヒマラヤ山中の峠越えでギリギリの状態だったのだ。彼女たちの快挙にさらなるエールを送り、「さてー行くか」と成田から3人で飛ぶ! 2人は3度目なので気楽度も疲労感も程良く、カトマンズの朝を迎える。早朝天気待ちの後、左に8000mもの山々を見ながら小さな飛行機は儚げに飛ぶのだった。標高2804mのルクラで若い真面目そうな現地ガイドと元気でまだかわいげのあるポーターに合流。ホッとしたとたん、容赦なくトレッキングスタート!
ヒマラヤクーンブ地域の聖なる川を渡りながら高度をかせぐ。地元の人のマナーにそって進むと少しずつ彼らの世界に迎えられるようで心地よい。行き交う人々は寡黙でも挨拶(ナマステ)を欠かさない。あー前と変わってない。よかった。観光誘致できれいにすることにしたのだろうが、燃料用などで貴重な牛のウンチが町からすっかり消えていたのでガッカリしていたのだ。
ナムチェバザールは北はチベットから来る人もいる南北交易の町で旅人には楽しいところだ。ここで高度順応のため2泊する。エベレスト、アマダブラム、ローツエなどがしっかり見える。バザールでは私を覚えていてくれた女性がいて「また来る?」「来るよ!」と即答。彼女は信頼と尊厳の白い布を首に巻いてくれた。絶対、あのきれいな目は裏切らない。「あれは日本では秋に見えるいわし雲だよ」とガイドに教えたところ「あの雲が出ると雪になる」と言う。そして晴れやかな秋空は悪化して氷雨。その頃目的地ゴーキョは吹雪。登頂できずに戻ってきたトレッカーが多い。4750mの集落までぐたぐた歩き、ゴーキョのロッジでしっかり高山病になる。超貧乏旅行なので勿論ドクターなどいるわけもなく 地元のシェルパたちが四、五人私を囲んでボロい箱のなかにごそっと入っているどこの国の薬かもわからないものをみんなであーだこーだいいながらかき混ぜ これを飲めと言われる。実はあんまり何言ってんだか分かたなかった。じっと寝ていては順応しないのでゆったりゆったりガイドなしでピーク5360mに登頂。
これで一仕事終わったと思ったが、帰路でさらにしんどい登りがあるとはこの時思いもしなかった。
どこへ行ってもやはり嬉しいのは人の優しさ。ヒマラヤ街道の奥の奥に、長野の我が土林の人と同じ笑顔に出会えるなんて最高!
村の話はまだまだ続きます
雑誌掲載分の24回を流します
貧乏旅行ゆえか カラパタールへの途中から
ヘリコプターで搬送されることになってとほほの話は
爆笑話となるは また今度・・・・
きつねもあきれる新年会!
冷たい風はすっかり柏の葉を吹き飛ばした。ザック、ザックと巨大霜柱を折り倒す音だけの村の朝。カブ(うちの犬)の元気な白い息。草葉をキラキラ包んで飾る霜、精霊アプサラスにしてくれるのは風花、なにもかもリセットしてしまう明け方の雪…色の基本は白なのだなーっと思うのはいつも冬。
12月20日頃、村の女たちは集会場の大掃除をする。村の女たちと言ったって私を含めてたったの3人。ガラスをキュッキュッと磨き、力をこめて畳に雑巾がけ、布団を陽にあて、正月用の食器類を熱湯でざっと洗い流す。サッサ、ぱっぱっと手際よく(でも、ずーっとおしゃべりしながら)すませて、お疲れさまっと一緒にお昼を頂く。
天気の話、孫のこと、作柄の状況、編み物情報などなど。ふんわりとした言
葉が、持ち寄ったおかず(私はいつも食べるばかり)の上を行き交う。感心するのは一言もつまらぬゴシップ、ましてや人の悪口を聞かないことだ。気持ちのいいこの日は、毎年、天気も上々の上なのだ(女だけでの仕事は気がおけなくていいものなのだ。おまけにお昼のお寿司は村の予算からだしてくれる)。
1月1日、新年会には村の全員が集まる。「あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいいたします」と、きちっと畳に手をついてしっかりきれいなカタチで挨拶することの気持ちよさを思い出させてくれたのは、この新年会に初めて参加した8年前のことだ。以来、この日のこの挨拶が楽しみで待ち遠しい。折り目正しいカタチは外へ向かってというより、自身の内へとじわっと広がる。
宴も進めばお酒も進み、なんやらかにやら盛り上がるものだ。お正月用の折り詰めが各人に配られるがが、やはり一番おいしいのはおかあさんたち手づくりの黒豆、煮物、酢蓮、数の子などだ。「おいしいなー、いいねー、ほっくりだよー」。渡辺一族の中に我々2人がチャッカリ、スッカリ混ざって好き勝手に飲み食い、笑い、ゆらゆら揺れながらの新年会。炬燵の中でウッカリ伸ばした足が誰かの足を蹴ってもなんだか大笑い!
そんな大笑い新年会の冒頭に全員で唱和する「報徳訓」は人としての基本的生き方の確認ともいえるものである。初めての参加の時、「それではご唱和を」と言われて「ゲッなにやら宗教的結束があるのか」とビビったが「報徳訓」の言葉が進むにつれ、「いいじゃないかこれっ」と思った。新年挨拶にしろ報徳訓にしろ、偏りのない美しさを感じる。残念なのは毎年参加する人が減り、三つ出した炬燵が一つになってしまったことだ。